漆器の神様 Vol.245~248

「2つの漆器神社」

越前漆器産地・福井県河和田(かわだ)地区の八幡神社と敷山神社には、境内神社として「漆器神社」があります。 越前漆器は1500年の歴史を誇りますが、そのはじまりは八幡神社のある片山町(かたやまちょう)にて「片山椀」 と呼ばれるお椀づくりが盛んに行われるようになったことからと言われています。神社にも漆器工芸がすべて手作業 で行われていた当時の諸道具が全工程にわたって保存され、福井県の文化財に指定されています。一方、敷山神社が ある河和田町(かわだちょう。当時の河和田村小坂)は、片山町の隣に位置し、明治時代ごろから主に重箱などの板物 の生産がはじまったところです。片山町と河和田町は河和田地区の漆器産地の中心地として栄え、今にいたっています。 産地にある2つの漆器神社では、歴史ある越前漆器の産地にふさわしく、毎年職人の道具の供養やさまざまな関連行事 が行われています。
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「漆器神社に関連した行事」

漆器神社と関連して、越前漆器の産地・河和田地区ではさまざまな行事が行われています。敷山神社境内に漆器神社が ある河和田町では、毎年春、漆器祭の例祭を行い、神事の後、小学生の男子が子供神輿を担ぎ、女子が大きな和太鼓と ともに手踊りで町内を回ります。神輿 の一行は、漆器の仕事に従事している家の前でとまっては「しょうばいはんじょう!しょうばいはんじょう!」と威勢 のよい声とともに神輿を上げ下げします。私も小さかったころは、あまり意味もわからずに声をからして叫んでいたこ とを思い出します。
また、漆器づくりの職人が使い終わったヘラや刷毛などの道具を持ち寄りその先人達や神様にお礼を込め、お焚きあげ (神主のお祓いの後、焚火で燃やす)をして道具を供養するイベントが行われています。道具の供養を目的として漆器神社 には「はけ塚」があります。
産地の子供たちや漆器組合の青年部など若手が中心となって活動するこうしたイベントは、漆器産地全体に活気がうま れます。年々、産地では少子化や過疎化などの問題に直面していますが、ぜひとも永く残していきたい行事です。
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「漆器神社へのお参り」

小さいころから漆器産地で育った私の中で「漆器神社」というと、お正月にお参りする場所というイメージがあります。 私が家族とともにお参りやお供えをする河和田町の漆器神社の拝殿では、大晦日の夜から正月の朝まで常駐している町 内の漆器関係者の役員によってお神酒が振る舞われます。
拝殿の天井には、昭和46年の拝殿増築の際に町内の蒔絵や沈金の加飾職人たちによって奉納された自作の天井絵がは めこまれており、漆器神社ならではの美しい空間になっています。
漆器神社には「漆器の神様」といわれる惟喬親王(これたかしんのう)の御霊が祀られています。漆器関係者にとって お正月の時期は、10月から12月にかけてピークをむかえる出荷が終わって一息ついたところであり、漆器関係者は 「ぜひ来年も産地が繁栄しますように」という願いをこめてお参りをします。
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「木地師の祖・惟喬親王とは」

越前の漆器神社に祀られている惟喬親王(これたかしんのう)は、お椀や盆など轆轤(ろくろ)を使った漆器の木地づくりを 全国に広めた人物という伝承があります。
9世紀、近江国蛭谷(ひるたに。現在の滋賀県東近江市(旧永源寺町))に隠れて住まわれた惟喬親王は、貧しい住民の生活 をご覧になり、自身が考案した「轆轤で木地を加工する技術」を周辺の樵(きこり)たちに伝授し、木地師(きじし)や轆轤 師と呼ばれる職人が誕生、新たな産業がうまれました。木地師の発祥の地といわれる滋賀県東近江市には、惟喬親王が鎮座す る大皇器地祖神社(おおきみきぢそじんじゃ)があります。また、木地師の深い伝統文化を保存する目的で建てられた「木地 師資料館」には、全国に散らばった木地師の様子を記した「氏子狩帳(うじこかりちょう)」や木地師の身元を証明した「木 地師往来手形」をはじめ、多くの古文書や全国各地の伝統木製品などが展示されています。越前漆器の発祥の地といわれる鯖 江市片山町には同じ9世紀ごろ漆器技術習得のために代表者を滋賀県に派遣し修行した記録があるほか、片山町の漆器神社に は商売繁盛のために与えられた「お墨付き」の免許書が保存されているなど、越前漆器と惟喬親王とは深い関係があったこと がわかります。
(山本泰三)
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