古くから漆器に絵を描く伝統的な技法としては「蒔絵(まきえ)」などがあげられますが、 40~50年ほど前から印刷によって「蒔絵の風合い」の絵つけが可能になり、 全国の漆器産地で採用されるようになりました。
永年の職人の経験と工夫をベースに、時間をかけてひとつひとつ筆で描きあげる蒔絵の豪華で繊細な美しさに比べると、 機械的な単純作業の印刷により表現される絵柄は到底かないません。 しかし、技術の進歩により、デザインや色使いがシンプルなものほど印刷でも一見蒔絵に見えるぐらいの表現が可能です。 比較的経験が浅くても作業が可能で完成までのスピードが早いため、 コストダウンと大量生産によりお客様にとって価格面で大きなメリットがあります。
印刷の種類としては、器の形状や絵柄の複雑さによって「スクリーン印刷」や「パッド印刷」と呼ばれる技法が使われます。 最近では「蒔絵風」を自由に楽しめる「蒔絵シール」が登場し、 携帯電話などに貼って持ち歩いているお客様を見かけます。 本来の蒔絵に代わる技術が進化することにより「蒔絵風」を身近に体験いただけるようになった半面、 産地のつくり手としては本来の伝統的な蒔絵に対する需要が減少するという悩みもあります。
印刷によって器に絵柄をつける方法として漆器産地で広く使われている技法が「スクリーン印刷」です。
専門用語で孔版(こうはん)印刷の一種と分類され、スクリーン版の穴(孔)を通してインキを紙に転写する印刷方式です。 スクリーンの素材には、絹、テトロン、ナイロン等の化学繊維が利用されます。当社は印刷会社ではありませんが、 ロゴマークや社名のほか、器の形状や絵柄が比較的単純なものは当社内の工房で行っています。
① 版をつくる
当社で使用するスクリーン版は、版を専門につくる職人に依頼しています。職人はスクリーンを枠に張り、 四方を引っ張り緊張させて固定し、その上に印刷をしたい絵柄などの原稿を元に版膜を作って、必要な画線以外の穴(孔)を塞ぎ、 版をつくります。
② 印刷する
完成したスクリーン版を工房の刷り台にセットし、版の枠内に印刷インクを入れ、 手に持ったスキージと呼ぶヘラ状のゴム板でスクリーンの内面を加圧・移動します。 するとインクは版膜のない部分のスクリーンを透過して版の下に置かれた器の面に押し出されて絵柄が印刷されます。
このように一つ一つ手作業を繰り返す作業になるため大量生産にはむきませんが、 しくみが単純で製版、印刷ともに比較的小規模な設備でまかなえたため、産地内で広く普及していきました。
前回紹介した手作業による「スクリーン印刷」に対して、 1980年以降「パッド印刷」と呼ばれる機械を用いた印刷技術が普及しました。
専門的には凹版印刷と呼ばれる技法の一種で、凹形の版に入れた漆またはインクを 弾力性のあるシリコンゴムパッドで拾い、(版のとおりに)インクが付着したパッドを 印刷の対象となる器に押し当てて転写するという作業を機械的に行う方法です。
パッド印刷の魅力は、機械化によるスピードアップとともに、シリコンゴムの弾力性を活かして 歪まず三次曲面(球面)へ印刷ができることです。さらに、凹形の底面(お椀の内側など)への印刷も可能になりました。 ただし、版やパッドの大きさに限界があるためパッド印刷は大きなサイズの印刷にはむかないという弱点もあり、 その場合はスクリーン印刷が有効になります。
パッド印刷の登場により、お椀の表面等これまで蒔絵職人が手描きでしか実現できなかった形状に対して 安価に絵付けが可能になり、大量生産の業務用漆器でも蒔絵の風合いを楽しむことができるようになりました。 市場には、印刷によって絵柄をつけたリーズナブルな漆器と、 芸術性に優れた伝統的な手描き蒔絵による高級漆器が並ぶようになりました。
手描きの蒔絵と異なり、印刷作業で必要なコストに「版」をつくる費用があります。 大量に印刷するほど版代が按分されて印刷物1つあたりのコストを抑えることができますが、 数えるほどの数量であれば印刷のメリットが薄れます。 私達つくり手が印刷による絵つけ商品を企画するときには、 ある程度ロングセラー商品として数量が見込めるよう幅広いお客様に受ける絵柄 (伝統的な文様、人気のある植物、風景など)や印刷のよさを活かせる絵柄(単純模様など)を使う傾向にあります。
「法人のお客様の記念品」「個人のお客様のオーダーメイド」など、 その都度お客さまのご要望にあわせた絵付けをする個別注文の場合は、 ご予算、必要な個数、絵柄の種類(印刷で可能なものか)などをお伺いして、 つくり手の立場から「印刷」か「蒔絵」かのご提案をいたします。 特に「一点もの」の絵柄をつけたいというお客様には、 高い表現力を活かした伝統的な手描き「蒔絵」をご案内しています。
技術の進歩によって便利になった時代ですが、 つくり手の私達は最新技術(印刷)と伝統技術(蒔絵) それぞれが持つ良さを十分踏まえた製品づくりを行うよう努めています。
(山本泰三)