漆カブレは、漆の主成分ウルシオールによる接触性皮膚炎といわれています。漆が完全に乾いていない状態の時に漆に触れるとカブレるので、完全に乾いた後にお客さまのお手元に届く商品に触っても、カブレる可能性はほとんどありません。よって、漆カブレは、漆を直接に取り扱う我々産地メーカーや職人に関係する言葉です。漆に触れていったんカブレたら、皮膚科にいっても有効な薬がなく、そのつらいかゆみをひたすら我慢するしかありません。漆カブレは時間の経過とともに自然に完治し、跡などは残りません。また、何回かかぶれているうちに抵抗力がついて、かゆみの程度もさほどではなくなります。その人の体質やその日の体調によってカブレ方、治り方も異なります。 こうしたカブレをもたらす漆の強い力により、漆の樹は自分自身でさまざまな外敵から身を守って育ち、そして、最終的に我々人間の生活に漆の恵みを与えてくれているのです。
漆というと「かぶれる」というイメージがあります。山歩きなどで誤って漆の木に触れてかぶれた経験をお持ちの方は結構いらっしゃいますが、一般のお客様が身近に使っている漆器に触れてかぶれることはありません。漆器の世界での「漆かぶれ」はあくまで作り手が漆を塗る段階、液状の漆を扱うタイミングのお話になります。
漆にかぶれる原因は、漆の主成分であるウルシオールの反応によるものです。漆の樹液や精製された漆塗料に直接触れることで表皮からウルシオールが浸入し、それを排除しようとする体の反応の大きさによって炎症がおきます。漆の原液である樹液の状態が成分が最も強く、生育している漆の葉からは自然にウルシオールが飛散していることがあるため、漆の木の下にいるだけで接触しなくてもかぶれることがあります。
医学的には「漆性皮膚炎」「接触性皮膚炎」といわれ、同じ接触の量でも人によって手の指が痒くなる程度の軽症の人から腕から顔にまで広がる重症の方までいます。一度かぶれると軽症で4~5日程度、重症で2週間程度「痒み」が続いた後、痕も残らず完治するというのが特徴です。また、
・ 「漆かぶれ」を何度も経験すると皮膚に抵抗性(免疫のようなもの)がついてほとんど症状がでなくなる
・ 親に抵抗性があると(遺伝のようなしくみで)その子供は漆にかぶれにくい体になる
・ 通常はかぶれにくい人でも、体調が悪いときなどに急にかぶれるようになる
など、自然界に存在する漆ならではのいわれや特徴があります。
越前漆器の産地では、毎年夏に県外から大学生が訪れてアート作品をつくる「アートキャンプ」という取り組みが行われています。その中で今年蒔絵職人のところに弟子入りして蒔絵体験を行った4名の学生全員について漆かぶれの症状がでたとのことです。4名の症状を詳しくみると、1人は手と腕がうっすらと赤くなった程度の軽症、2人は手、腕に痒みがでる普通の漆かぶれの症状、もう1人は手と腕が腫れあがり、手に関しては指の1本1本が腫れ、手を握る事が出来ないほど重いかぶれだったようです。年齢が同じで全員初めて漆を扱うという点も共通していて、同じ時期にまったく同じ作業をしたにも関わらず、かぶれ症状に個人差が出たようです。
この話を聞くと100%の人が多少なりとも漆の仕事をするとかぶれる印象ですが、毎日漆を扱う産地の職人には「かぶれたことがない」という方が結構います。その場合、職人の親も漆を扱う仕事だったというケースが多く、またその職人の子供も漆を扱う工房で遊ばせていたがかぶれたことがないとのことです。かぶれに対する抵抗力とか免疫のようなものは遺伝的なしくみで受け継がれるという話がありますが、どうやら本当のようです。祖父の代から漆を扱っている私自身も小さい頃よく工房で遊んでいましたが、漆にかぶれた記憶がありません。
1度かぶれても2度、3度とかぶれると、すこしずつ免疫のようなものがついて症状が小さくなっていくのが漆かぶれの特徴です。しかしながら、まれに何度かぶれても症状が小さくならない方がいて、過去に当社工房で職人をめざしていた社員は症状が軽くならず職人の道をあきらめたケースがあります。また、普段はかぶれない職人でも体調が悪いときや皮膚の弱い場所に漆がついたときにかぶれるという職人もいます。
■河和田アートキャンプWeb Siteはこちら
■京都精華大学関連サイト http://info.kyoto-seika.ac.jp/event/2009/07/829.html
漆でかぶれてしまった場合、病院にいっても栄養剤やかゆみ止め程度で根本的な治療薬はなく、逆に病院にいかなくても時間がたつと自然治癒するというのが漆かぶれの特長といわれています。昔から言われている対策のひとつとして、サワガニ(川などに生息する小石ほどの小さなカニ)を潰してでる汁をかぶれたところにつけるという方法を何人かの職人が試していました。近年の「漆を科学する会」の研究報告では蟹汁のたんぱく質成分にある程度の効果があるという結果もでているようです。(三田村有純著「漆とジャパン」より)。ただし、サワガニの汁は非常に臭いので快適とはいえず、また最近はサワガニ自体を見つけることが難しくなり、冷水などを使って熱を抑えながらかゆみを和らげることが一番お手軽で効果的なようです。
痒みがつらくてかきむしってしまうと治癒に時間がかかるものの、漆かぶれは必ず完治して肌に痕などが残りません。また多くの方は免疫のような抵抗力がつくため、次ぎに漆に触れたときにはかぶれないか、かぶれても前回より軽症になります。漆でかぶれてしまってときには「仕方がない」とあきらめて、前向きに漆とつきあっていくのがよいのかもしれません。
漆の木の立場で考えたときに「なぜ動物に対してかぶれ(皮膚の炎症)を起させるのか?」ということを調べてみると、さまざまな説があるようです。
古くから人間の生活において漆は塗料としての利用以外に自然界における最強の接着剤として農耕道具や建築などに必要不可欠なものでした。10年以上かけて育った1本の漆の木から200ccしかとれない貴重な漆の樹液を有効に活用できる人間のために、「かぶれ」の力によって漆の木が他の動物から身を守っているという説もあります。人間にとっての血液と同じように、漆の木にとっての樹液は命にかかわるものです。漆塗りは、動物の中でも唯一漆を理解している人間が大切な樹液を再生する行為であり、(塗りの作業などを通じて)漆を大事に扱う人に対してはかぶれを起さないという現象は納得できる面があります。「漆の木は人里近くにしかうまく育たない」といういわれも本当のような気がしてきます。
また、人間が出血するとかさぶたのようなものができて傷口をふさぐように、表面が傷つきやすい漆の木も傷がつくと樹液によって固まり細菌が入り込まないようにする自衛力があります。人間と同じような一面をもっている漆について深く知れば知るほど、漆器に対する見方もかわってくることでしょう。
(山本泰三)