漆掻き Vol.73~76

「漆を掻く?」

冬も終わり、新緑の美しい季節が始まりました。枝から芽吹く若葉がとても美しく感じられます。
さて、今回から4回シリーズで『漆掻(か)きの話』をしていきたいと思います。そもそも「漆を掻く」とはどういうことをいうのでしょうか?それは「漆の木から樹液を採取すること」を意味しています。掻子(かきこ)と呼ばれる職人が、樹液を採るために漆の木に刃物で傷をつけていきます。すると、(人間の血液のように)木は傷の修復をしようと樹液(漆)を傷口に流します。それを掻子がヘラで集めていきます。不思議なことに、1本の木に対して5日に1回のペースで作業を行うと、もっともよく樹液を出してくれるそうです。また、木を切り圧縮機にかけて「漆」を絞るよりも、傷をつけて地道に採取するほうが多くの量を取ることができます。作業は6月はじめから9月いっぱいぐらいまで行われますが、採取できる樹液の量は、1本の木から牛乳瓶1本分(約200グラム)しか取れません。
次回は日本で行われている「殺し掻き」の説明を交えて、もう少し詳しく「漆掻き」についてお伝えしようと思います。
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「漆の<殺し掻き>」

070427漆掻きの方法には2種類あります。一つは中国、ベトナムなどで行われている「養生掻き」。もう一つは日本で行われている「殺し掻き」です。木に刃物で傷をつけて漆を採取する方法は同じなのですが、中国などで行われている「養生掻き」は1年のうち6月から8月の2ヶ月間のみ採取し、毎年採取する方法です。一方、日本で行われている「殺し掻き」は6月から9月、さらに11月にも木に傷をつけ、漆を採取し尽くし、その後は樹幹を伐採する方法です。「殺し掻き」は木が枯れるまで漆を採取し尽くしその後は切られてしまうところからきているようです。
採取された漆は「血の一滴」と呼ばれています。木が傷を付けられ、修復のために流した樹液なので、漆は一滴一滴を無駄にしないように大切に使われています。

 

「漆の木の栽培」

漆を採取した後、漆の木は伐採されてしまうことを前回お伝えしました。当然、伐採し続ければ、漆の木が無くなり、漆が取れなくなります。今回はどのように漆の木を絶やさないようにしているかお伝えしようと思います。
人間の手で漆の木を伐採したあと、実は、また人間の手によって新たに栽培されています。播種法(種を蒔いて苗木をつくる)、分根法(根を分けてそれを育てて苗木をつくる)、萌芽更新法(伐採した切株から出る芽を育てる)の3種類があり、日本では播種法が行われているそうです。(『日本の漆工 材料と用具』より)
漆の木は生命力が強く11月後半に伐採され、切株になっても次の年の春には、新しい芽をだします。
人間と漆には密接な関係があり、昔から漆の木は人里近くの土地によく育つという伝説や、カブれをもたらす樹液(漆)で人間以外の生物から身を守りながら、(伐採しても、また栽培することを知っている)人間だけが樹液を採取できるようにしているとも言われているようです。

「漆の掻き子さん」

20070511先日、『河和田の昔ばなし』(平成18年11月刊行)を拝読しました。内容は、当社のある鯖江市河和田町のいろいろな昔話を集めたもので、うるしの里づくり協議会が発行したものです。面白いのは、文献調査だけでなく、聞き取り調査、意見交換会をふまえて編集されており、漆器産地である河和田の伝承が綴られています。その中に「うるしかき」の話が掲載されていました。漆掻きの作業は、「漆の掻き子」という専門の職人さんが行っていますが、その昔、全国の中でも河和田の職人が最も多く、その技術を活かして、東北や関東・中部地方まで出稼ぎで働きに行っていたそうです。江戸時代から始まり、昭和30年頃まで続いていたそうです。
『河和田の昔ばなし』に以下のような一文がありましたのでご紹介します。
「…春田植えがすむと、村の元気な男は連れだって出かけた。11月まで半年も家には帰られん。農家の隅っこ借りて自炊した。…」
(宮川千次)

『うるしかき唄』
うるしかきさんは
鳥の性を得たか
朝の早いから木のそらに
かわいい子をおき
妻をもおいて
行くは河和田のうるしかき

『河和田の昔ばなし』より一部抜粋